世紀のヴィンテージとは何か。比類ない出来のことだ。豊かで有り余るような感触。一年を通じ、ブドウの樹が「いとも簡単に」生長したような印象。収穫は楽しく、長く、穏やかに終わる。発酵終了の時点ですでに上級のワイン。このワインの最後の日まで、ずっとずっとこの質を保つに違いない。それが「世紀のヴィンテージ」の定義だとしたら、我々ルシヨンのワイン生産者にとっては2011年こそが世紀のヴィンテージだった。

春先に雨が多く、どの品種も発芽良好。開花も見事。夏、曇りがちで涼しいものの、雨は降らず、収穫期には60日間ずっと晴天が続く。気温が30度に達する日は一日もなく、夜は涼しさが戻る。おかげで、素晴らしく実ったブドウの収穫と醸造にゆっくりと時間をかけられた。収穫も半ばで醸造タンクは一杯になり、ブドウ全部を醸造できそうにないと悟る。晴天が続き、畑で最後の実が完熟するまで収穫を待つことができた。濃厚で、繊細、そしてこれまでにないくらい素晴らしい出来の果実。夢のような一年。この年のことは長く語り継がれるだろう。

ワインへの情熱だけにかられ、深い考えもなく直観に導かれるまま、ここに居を構えることとした。若いころから、ソムリエ、レストラン経営、ワインや幸せな生き方についての物書きなど、ワインにまつわる職を転々としてきた。しかし、人生に一区切りつけたある時、閃いた。さえない色をしたこの樹が何年もののち、忘れがたい美酒を生み出すその過程を、たとえ理解に至らずとも、知識として得ようとしたら、ワインを「造る」ことを始める以外に道はないと。

わずかながらも樹齢古いブドウ畑で、剪定ばさみを手に、安物ワインを飲みつつ、噴霧器を背負う。この地のブドウ農家は、それだけでブドウ作りに勤しんできた。手の込んだテクニックや手法などない。私もこうして1997年のある朝、お金も邪欲もなく、しかし、大きな希望にだけは満ちてこの道に入ったのであった。

だが、すぐに肌は日に焼け、手は荒れ放題、体じゅうあちこちが痛み、こわばり、しばしば動けなくなった。今日、私は知っている。ブドウ畑の日常と現実は、瀟洒なレストランの優雅な世界とはかけ離れたものであると。

助言を請い、試行錯誤を続け、独自のスタイルを求めて終わりない議論を重ねた末、ドメーヌ初のワインが出来上がった。それは、友情と思いやり、そして何より団結心の起こした奇跡。そう、ワイン業界では、まだ同業者の団結心というものが存在するのだ

今になると、最初にル・クロ・デ・フェでワインを作った年の話をするのをためらってしまう。誰も信じてくれそうにないからだ。友人が貸してくれたカーブの奥で、ブドウの実を一つ一つもぎ取るのは、だいたい、その友人が一日の仕事を終えてからだった。思い出すのは、小さな合成樹脂タンク4つと、古物市で見つけたポンプ、搾り布、実を潰す熊手棹。そしてブドウを圧搾するのは腕の力だけだった。収穫は少なく、中には荒れ放題の放置畑から採ってきたものもあった。ブドウ作りの経験が浅いのだから当然ではあるが、その選果作業にどれだけ時間がかかったことか。重なる疲労と、しばしよぎる絶望的な気持ち。それでも陽気で情熱に満ちていた。無謀にも近かった。出来上がったのは熱くドライなワイン。1998年、新参者の私たちは、自分たちなりの着想とやり方で、一味違ったワインを生み出した。このワインはすぐさま我々を虜にし、これから歩むべき道を教えてくれた。かたくなに続けること、それだけだと。

奇跡が起こる。4月早々から先物取引でこの秋の新酒が売れ始めたのだ。ほっと胸をなでおろす。これがなかったら、資金不足でワイン作りなど続けられなかっただろう。いずれにしても、生活費を稼ぐために副業を続けねばならない。これは予想した通り。幸い、銀行がまた融資をしてくれる。これがその後の絶え間ない融資の始まりだった。

この年、我が家のガレージをワイン醸造用のミニカーブに改造した。コンクリートを敷き、電源を引き入れ、醗酵タンクを運ぶ。新しく二つのタンクも買い足す。今度はステンレス製だ。冷却装置はなし。高すぎてとても入れられない。そこで、醸造中は、道の向こうから冷たくてきれいな泉の水を引くことにした。そう、金がなければ頭を使うまでだ。

ブドウ畑は少し広がり、合計7ヘクタールとなった。しかし生産量は15,000本のみ。それにも慣れて行かねばならない。収量の低さはこのドメーヌの宿命だ。75%のワインは新樽で熟成する。特に新しい銘柄はドゥミ・ミュイ と言われる樽で熟成。ワインの品種も増えた。ドメーヌのワインを待ち望む声は思いもよらぬほど大きく、途轍もないテロワールを手に入れてしまったとの確信は、日に日に増していった。


2000

ブドウ畑は9ヘクタールに。そして初めての植え付け。選び抜いた台木に接ぎ木されたシラー種1.5ヘクタール。丘は急斜面、しかもかなりの傾斜。この畑を耕

すのに、いつかトラクターが入れられるのだろうか。まあ、そのうちにわかるだろう。遅かれ早かれ、トラクターはいつか買うだろうし、買うとなったらものの数分で手に入る。一方、ブドウの樹が成長し、その根が大地に張るまでには、もっとずっと長い年月がかかる。それまでは、この小さな耕耘機で事足りるだろう。また、樹をゴブレ型に仕立てるため、一本ずつ支柱を立てることにする。皆、この一風変わった支えをこっそり見に来てはバカにする。しかし、皆すぐにその真似をするのだ。

収穫の季節、「グラン・クリュ」にはひと手間かかる。人の手に代わるものはないのだ。この年、奇妙なことに、すべてのブドウ品種が同時に完熟を迎える。選果用テーブルを取り出す。このテーブルを使うのはそれが最後と知らずに・・・。カーブには、低収量に適した醗酵タンクを二台買い足す。ブドウ果汁を優しく扱うため蠕動ポンプ も設置。貯蔵室は樽で一杯になり、労働条件は改善された。ル・クロ・デ・フェはメディアでも取り上げられるようになるが、我々の手によるワインがこのような感動を引き起こすことが信じがたく、目を丸くする。

1500時間以上に及ぶ作業のおかげで、この年、我々は比較的心穏やかに果実の成熟を待つことができた。ブドウ畑管理担当としてセルジュが加わり、この土地で生まれたものにしか身に着かない経験と直感を我々にもたらす。思ったよりも早くトラクターもやって来た。ちょうど苗の植え付け準備に間に合うように。(シラー種1ヘクタールとムルヴェードル50アール、上質苗のみを選別)。耕耘機と一輪手押し車 にはさよならを告げる。だれも惜しがらないのは、操作が本当に大変だったから。だが、背負い型動力噴霧器だけは、永遠に手放せないだろう。急斜面の畑ではこれがなければ作業にならないのだ。

フルタイム作業者4人と季節労働者数人で10ヘクタールでの生産に臨む。これで事実上、傑出したワイン作りに励めるだけの作付面積となった。村に小さな酒蔵を借りて樽を貯蔵できるようになり、この年、蠕動ポンプをもう一台買うことに。仕方ない、今年もおんぼろのサクソ で我慢するか・・・。リスクはいつも大きかった。それでも、魔法のワインを作る、というたった一つの思い入れが、我々の希望の灯をともし続けた。

ワイン作りは続いたが、毎年出来が違った。2002年産は、収穫時、妬ましいくらいずっと雲に覆われ、2001年が早熟だったのとは逆に、熟すのが遅れたのを覚えている。絵に描いたような美しい雲 の下、自問と躊躇を繰り返す。初めての年の苦難を思い起こさせた。しかし、今思えば、なんと興味深く、学ぶべきことが多かったことか。

1.5m四方に一本ずつ植えられた古木 を何に替えても大切に扱いたいという思いから、クローラー付動力運搬車を購入。これでほぼどんな所でも耕せるようになった。この年、特に大切だったのは、耕した土壌に地下深くまで水が行き渡るということ。秋の深まりと共に、15ヘクタールの作付地を掘り返し、繰り返し耕すには、7人の人員が必要となった。株の一本一本に気を配り、手入れを施す。例年9月末に終了する収穫作業がこの年は10月28日まで続いた。

そして素晴らしいワインが出来上がった。フレッシュでいながら成熟したワイン。熟成後はさらにその真価を発揮するだろう。カーブには小さいながらも冷却装置を入れ、泉から水を引き入れる必要はなくなった。一つの時代が幕を引く。

猛暑の年。ヴァングロー村のブドウ樹は水不足には慣れている。接ぎ木の台木にする品種は、そのために何世紀も前から植えられてきた。冬の終わりと春先にクローラートラクターとロバで二度畑を耕し、表面のひげ根を取り除く。これで車輪式トラクターも通れるようになった。根は養分と水分を求めてぐんと長く伸び、岩盤にさらに深く根を下ろす。これが、テロワール本来の持ち味とミネラルの風味をワインにもたらすのだ。

9月に入って急に熟すスピードが落ちる。だが、少し辛抱すると元のペースに戻る。カリニャン種は優れた晩生種で、10月23日まで収穫が続く。驚くほどフレッシュで、これを生かすには、他品種のブドウと先にブレンドし熟成を待つことが重要だと確信する。ボトルに詰めて熟成したワインには、幸いジャムのような味 はない。1ヘクタール当たり12000苗を新たに植え付け。しかし二年に渡る激戦の結果、土壌は準備不足。結局二列に一列は抜かざるを得ないだろう。自然は時に、我々にその摂理を思い起こし、自然への服従に立ち返らせる。

成熟の年。作付けは約20ヘクタールに及ぶ。ガレージは狭すぎ、5ヘクタール分が蔵入れできない。そのため出来の良い実だけを選ぶ。大丈夫、故意でしたことだ。天候に恵まれたこの年、ブドウ畑はすべて「グラン・クリュ」並みに扱った。収穫時、選別には悩まされたが、本当に上質の実だけが残った。村の古いカーブの扉が再び開かれ、セメントタンクを整備し、新たに新苗のシラー種を加えて質を高めた「ソルシエール」醸造に使用する。クローラートラクターの後ろには、株と株の間の雑草を上手に刈り取る器具を取り付け、樹齢古い株たちの根元をやさしくなでてやる。古株たちもこの手入れにはご満悦のようす。上質の苗だけを選び、カベルネ・フラン種を少量植え付け。テンプラニーニョ種も少々植え付けする。気違い扱いされる理由がまた一つ増えてしまった。この年、ワインの出来も良く、トリュフも良く採れた。両方の出来が良いというのは珍しい。

グランド・ヴィンテージの年。ワインにとってもドメーヌにとっても大成功をおさめた年。5月にはRVF、「フランスワイン情報」誌上で、「ルシヨン地方ナンバーワンのドメーヌ」と称される。こんなことを言われては、だれでも更に上を目指したいと思ってしまう。この冬は雨が多く、どの品種も実りが少ない。特にグルナッシュ種は、いくつもの畑で実を結ばなかった。夏、暑さもほどほどで極度の乾燥はない。ヒートポンプ二台を設置、カーブに冷風・暖風の送風をできるようにする。ウドン粉病被害が予想されたこの夏、折よく噴霧器二台も到着。作業仲間はスクラムを組み、手際良く、正確かつ丁寧に、模範的ともいえるブドウ栽培を成し遂げた。収穫時の衛生条件を見直し、この年選果用テーブルは屋根裏にしまわれたまま、日の目を見なかった。醸造のしやすい年。ふくよかだが、張りがあり、きりっとしたエネルギッシュなワインが生まれる。出来上がりは鮮烈で 凝った味わい。例を見ないほど良質のタンニンが生成され、熟成を経て開花する、長期熟成向きワイン。歴史に残るヴィンテージである。

知らず知らずのうちに、日本語でいう「Kaizen-改善」を重ねていたと気づく。訪ねてきた友人の一人がその意味を教えてくれる。「妥協許さぬ顧客にも満足していただける製品を目指し、細部にこだわり、徐々に改良を続けていくこと。」それが改善なのだと。この年、耕作器具をすべて買い替えた。そう、トラクター三台。ブドウの樹を器具に合わせるのではなく、樹齢高い古木にあった器具類を揃えるために。一流を目指すには細部にまでこだわらなければならないのだ。8人目の仲間が加わり、古いグルナッシュの畑を買い足したので、作付面積は30ヘクタールに及ぶ(非常識か・・・)。この畑を救おうと、強風と凍るような寒さに打たれながらも、二か月間全員で懸命に作業をする。この冬は寒く、雨が多かった。発芽は遅れ、五月から9月半ばまで雨が降らない。収穫は辛く、リスクも多かった。辛抱を重ねて醗酵させ、じっくりと抽出 。醗酵タンクから生まれたのは、濃厚で、力強いワイン。熟成後に花咲くことだろう。この年はポルチーニ茸が大豊作。

風の年。この年少なくとも200日は風が吹いた。海風や、タラモンターヌと呼ばれる冷たく強い山風が吹き抜け、冬には体の芯まで冷やし、夏には気がふれそうになる。レスケルド村の花崗岩上に作付けした畑で初めての収穫、新しい銘柄を作る。「私の心臓は鼓動を止めた 」。その変わった名前がまた笑いの種になるだろう。だがワインの質はすばらしい。大切なのはそれだけだ。三月、一同がやっと作業に一息ついた頃のこと。荒れ地になり、根こそぎの危機に瀕したブドウ畑30ヘクタールとオリーブ畑40ヘクタールを救ってほしいとの話が舞い込む。いくらなんでも無理な話。それに見合う金も設備も人手もない。だが一目見ようと立ち寄る。と、その荒れた畑に不覚にも一目ぼれ。仲間が腕まくりをしている間に、策をめぐらせた。銀行も融資を受諾。土地開発農村地帯企業組合(Safer)の援助もあり、二年間、農家経営者となる。やっていけるのか?しかし、オリーブの木とブドウの株だけは救えた。初の食用・油絞り用オリーブ収穫。暖かな日差しと陽気な仲間に恵まれ、ブドウ収穫も難なく終了。春、アルコール発酵が終わり 、ワインはその持ち味を現す。もったりとして、フルーティ、官能的で、なめらかなタンニンたっぷりのワインになった。英語では、ヤギの毛で作った高級生地に例えて「パシュミナ・タンニン」と言うらしい。10回目の収穫を祝うにこれ以上の贅沢はない。

シャルル・ペローの寓話「青ひげ」の主人公 アンヌ のように、この年は降らぬ雨をいつまでも待ち焦がれた。暖冬で雨が降らない。だがありがたいことに、その後の春雷が発芽を促してくれる。ブドウの実の付きは素晴らしい。そして四か月に及ぶ旱魃。灰色の雲が垂れ込め、空は今にも泣きだしそうな日が、少なくとも夏の間に20日は続いた。なのに、雨は降らない。待ち、祈り、踊り、歌っても。それでもブドウの樹は緑に茂る、この夏の盛りにも拘らず。海の玄関口だからか。「ゾウを飲み込んだ星の王子様のヘビ」のごとく、ル・マ・ド・ラ・シック地区に広がる、一万五千本のオリーブの樹と荒れ果てたブドウ畑を飲み込もうと試みる。9月11日に恵みの雨。渇ききったブドウ畑を蘇らせ、つやつやした黒檀色の実が採れる。問題なく醗酵を終え、タンニンが多いにもかかわらず、セクシーなワインができた。初収穫のカベルネ・フラン種による初ワインは「野生オリーブの樹の下で笛吹く半獣神」。849本がたった5日で売り切れた。ラベルに描かれた半獣神は我々と一緒に毎年歳を取っていく。わずかだが、リュック・ノワール種の見事なグリーンオリーブを収穫。

謙虚に徹すべきヴィンテージ。孔子によれば、謙虚とは、寛容と共にもっとも大切な美徳であるらしい。この冬は寒かった。12月、雨が降り続く。2月には記録に残る大嵐。ル・クロ・デ・フェの樫の大木も被害を免れない。発芽は見事で、春の陽気の中、一様に花咲く。夏、トラモンターヌの山風がすさまじい。こんなに吹いたことがないほどに。そして、6月から10月末まで雨は一滴も降らず。この年、降水量が少ないだけに雑草取りが生育の鍵を握った。畑を耕すことの重要さにまだ疑いを持っていたとしたら、その疑いは一掃されただろう。この地球温暖化のさなか、私に言わせれば、畑の手入れは、上質ワイン作りを続けるための鍵に他ならない。100以上のブドウ畑の手入れは、ついぞ頭が狂いそうになるけれど、2009年のような年には、早生、晩生など多様な品種と、様々な土壌を持ったことを心から神に感謝する。収穫時、多種多様なブドウがこの手に入るからだ。オリーブ大豊作の年。

この冬、三月までは定期的に適度な雨が降りつつも、寒く乾燥気味。夏は日照りが続き、特に七月は暑かった。23日に大雨。八月は猛暑、といってもこの地では当たり前のことだが。この暑さと乾燥は、タンニンの成分、フェノール酸の熟成 をゆっくり待たねばならないことを意味する。12回の収穫を終えた私は、もう初めの頃のような若い未熟者ではない。時間に任せ待つことを覚えた。仲間の結束は固く、この12年で初めて、少しだけ鼻を高くしてもいいような気分になった。そして、やるべき事と、やらざるべき事の判断にばかり迫られる、すさまじい日常と少し距離が置けるようになった。そう、やるべき事とやらざるべき事、どちらも大切なのだが。

樹齢の古い樹からのワイン作りには少し変更を加える。グルナッシュ・ノワール種をセメント製の小型タンクで熟成させることにした。ムルヴェードルの収穫が少し増える。この年、ル・クロ・デ・フェでは、ムルヴェードル種の出来が素晴らしかった。テンプラニーニョをベースとした新銘柄「イマージュ・デリゾワール(取るに足らないイメージ)」には、全くの直感でカリニャン・ノワール種を少し加えてみた。これで、私の「風狂な」ワイン三部作は完成。この三部作だけは私の好きにさせてもらう。

世紀のヴィンテージとは何か。比類ない出来のことだ。豊かで有り余るような感触。一年を通じ、ブドウの樹が「いとも簡単に」生長したような印象。収穫は楽しく、長く、穏やかに終わる。発酵終了の時点ですでに上級のワイン。このワインの最後の日まで、ずっとずっとこの質を保つに違いない。それが「世紀のヴィンテージ」の定義だとしたら、我々ルシヨンのワイン生産者にとっては2011年こそが世紀のヴィンテージだった。

春先に雨が多く、どの品種も発芽良好。開花も見事。夏、曇りがちで涼しいものの、雨は降らず、収穫期には60日間ずっと晴天が続く。気温が30度に達する日は一日もなく、夜は涼しさが戻る。おかげで、素晴らしく実ったブドウの収穫と醸造にゆっくりと時間をかけられた。収穫も半ばで醸造タンクは一杯になり、ブドウ全部を醸造できそうにないと悟る。晴天が続き、畑で最後の実が完熟するまで収穫を待つことができた。濃厚で、繊細、そしてこれまでにないくらい素晴らしい出来の果実。夢のような一年。この年のことは長く語り継がれるだろう。